昨日は模試の結果返却を行いました。塾内順位も出ていましたが、ほぼ全員が団子状態で横一線。他人との差は気にしすぎる必要はありません。
私が驚いたのは、英語以外の4教科で塾生の平均点が全体受験者の平均点を下回っていたことです。これは正直ショックでした。ある程度予測していたとはいえ、実際に数字として突きつけられると、それなりに心に刺さるものがあります。
例えるなら、自分では特に男前でもかわいくもないと思っていても、面と向かって「お前ブサイクやで」と言われると地味に傷つく、あの感じに近いように思います。
気になって、現在の中2の当時の結果を確認しました。すると、全教科で受験者平均を10点近く上回っており、「え、そんなに違ったっけ?」とダブルショック。がびーん。
さらに、現中3の当時の結果を見てみると、今年の1年生と同じく英語以外の4教科で平均を下回っていました。安心、安心…。なわけない。下回り方も今年の1年生とほぼ同じ。
このことから、現在の3年生をモデルパターンに、この学年を修正していくことができそうです。
実は、この学年がつまずく兆しは4月当初から見えていました。日々トレの内容について、間違いの指摘や修正の指示を出しても、1回で伝わらないことが多かったからです。同じ指示を何度も繰り返さないと動けなかったり、その場で理解できても翌日にはまた元に戻る。そんな場面が繰り返し見られました。
昨日の授業でも授業を進めず、日々トレでの修正指示を「こちらが何を伝えようとしているのか」を改めて指導する時間としました。
春以降この内容を説明するのは昨日で4回目です。
模試本番でも、こんな出来事がありました。
英語の問題で「( )に当てはまる語を答えなさい」という指示が書かれていましたが、それを正しく読み取れず、全文を書いて失点している生徒が半数以上いました。これだけで8点の失点です。
さらに、志望校コード記入欄では「6桁で書け」と明記されているのに、4桁しか書かずに提出してしまった生徒もいました。記入欄が6マスあり、また2マスが空いている時点で「あれ?」と気づければよいのですが、アンテナが立たなかったようです。
これは「初めてだからできなかった」というよりも、日頃から文面を隅々まで読み、自分の頭で理解・確認するという習慣がないことの表れです。つまり「読むこと」への意識が希薄であることが根底にあるのではないかと思います。
そして、この習慣の背景には「面倒くさい」という感情があるのではないでしょうか。
大人になれば、保険契約書や住宅ローン、就業契約など、隅々まで読むべき書類に何度も出会います。たいてい都合の悪いことは小さな文字で書かれており、きちんと目を通していないと、後になって「読んでなかった方が悪い」と言われてしまいます。
それと同じで、「読んでいないこと」が命取りになるのが、まさに今回のような模試や受験本番です。
では、なぜ読まないのか。それは、「そんなことで減点されることは滅多にない」と確率的に楽観していたり、単純に「確認するのが面倒くさい」という心理が働いているからです。
その「面倒くさい」の具体例が、日常にも現れています。
例えば、学校から配られたプリント。確認せずにそのままカバンに突っ込む。当然、プリントの端は小学生の女の子が描くぶりっ子キャラの足のように、ぴょんと跳ねています。中身に目を通していないので重要性も分からず、家に帰っても渡しそびれる。ママ友からの「プリント、もう提出した?」というLINEで、親からの確認指示が入り、初めてそれが大事なプリントだったことに気付く。そしてカバンの底に捜査員を派遣する。
このように、模試でのミスも、日々の指示の聞き漏らしも、「面倒くさい」が根底に流れていると考えると、全ての点は一本の線でつながります。
この「面倒くさい」を屈服させない限り。成績を上げるのは夢のまた夢でしょう。
知らない英単語を見つけたら、辞書で調べる。読み方を確認する。その意味を例文で理解する。これを一語一語に対して地道に繰り返していくのが「勉強」です。そこには、いくつもの「面倒くさい」が転がっています。
言い換えるなら、勉強ができるようになるというのは、「数えきれない面倒くさい」に立ち向かい、それを一つ一つ退治してきた人のみが手にすることのできる果実です。
今回の模試結果から、現3年生の初期状態と今の1年生が似ていると感じました。
もし今、タイムマシンで2年前に戻せるとしたら、私が当時の生徒に絶対にやらせたいことは2つあります。
1つは、毎週1冊の読書を義務付けること。
もう1つは、国語の読解授業を1年生のうちから仕込むことです。
どちらも国語に関わることです。
面倒くさがりな子は、本1冊をなかなか読み切ることができません。途中で挫折してしまいます。「読書量 = 面倒くさがりとの戦績」。そんな式が成り立つかもしれません。そういう意味でも読書をさせ続けるというのは非常に大切です。
このあたりについてはいずれ書きますが、今年の1年生には、期末試験が終わるタイミングで、国語力の底上げに注力した指導を行っていく予定です。





