今年に入ってから、勉強習慣を身につけるための取り組みを少しずつ進めてきました。
自分一人で勉強に取り組みにくい子は塾に呼び、家庭学習をこなせる子にはある程度任せる。どちらにせよ、「毎日、一定時間は勉強する」ことを当たり前のこととして定着させるには、時間がかかります。
初めの頃は、「やらされている感」が強かった子たちも、4ヶ月目を過ぎる頃から少しずつ変わり始めました。
もちろん、ただ「勉強しろ」と言うだけでは、子どもたちは動きません。どこでつまずいているのかを見極め、できた時にはしっかり褒め、できなかった時には一緒に理由を考える。そうした関わりを地道に続けてきました。
その結果、中学3年生の中から過去最高点を記録する生徒が出始めました。長く停滞していた成績が、ようやく壁を越え始めた瞬間でした。
試験後の点数報告の場面では、これまでどこか申し訳なさそうに答案を差し出していた子が、今回は胸を張って報告してきました。その姿に、こちらも「良かったな」と心から祝福しました。
何よりも嬉しいのは、言葉や表情の端々に「自信」が宿っていること。それは、出来なかったことが出来るようになったという経験を通して生まれたものです。この自信は、やがて努力の仕方を形作る基礎となるはずです。
Goda塾では、定期試験対策においても「必要以上のことはしない」方針を貫いています。過去問を配布し、「これをやっておけば大丈夫」といった形式的な支援は一切行っていません。
かつて学校限定塾として運営している際、地域評価を意識して担当教師ごとに定期試験対策を講じたこともありました。しかし、そうした安易な方法で点数を取った子どもたちは、受験前の最も大事な時期に、「受験を自分ごととして捉える力」が育ちにくくなっていました。
「勉強とは先生が導いてくれるもの」と捉える姿勢が強くなり、自分で考え、工夫する力が発揮されないのです。結果として、塾にいる間だけは勉強するが、家ではまったく手をつけないという状態に陥ることが多く見られました。
そういった積み重ねが、子どもたちを本質的な成長から遠ざけてしまったのではないか。そう考えるようになったことが、私自身がこうした指導から距離を置くきっかけです。
もちろん、そういった指導を完全に否定するわけではありません。ただ、安易な方法に頼っていては「勉強そのものが面白くない」と感じる子も多く、どこかで「自分の力だけでやったわけではない」という思いも心に残るのです。
たとえ点数が10点低くとも、自分の力で試行錯誤しながら、学校の授業に集中し、必要なメモを取り、理解しようとする。そういった意識が育っているのであれば、それは決してハンディではなく、むしろ「力」だと私は考えています。
こういった自覚が本人たちの中に芽生えると、「内申対策」という言葉自体が不要になります。
先生がなぜその言葉をかけるのか。提出物を出すとはどういった態度が求められるのか。人の話をしかりと聞く姿勢とはどうすることなのか。そうしたことが自然と考えられるようになります。
「内申対策」という言葉を使っているうちは、子どもたちにとって先生は「検査官」でしかありません。しかし、子ども自身が「自分に足りないものを補ってくれる存在」として先生を見るようになれば、その瞬間、先生は「最大の支援者」に変わるのです。
テスト前に手引きをすればするほど、「勉強とは先生が導いてくれるもの」と思い込み、自力で考える力や工夫する姿勢を失っていきます。
私は、そのような他人任せの勉強の積み重ねが、最終的には子どもたちの成長を阻むと感じています。
だからこそ、現在は本質的な力を育てるための地道な指導を大切にしています。
目先の点数を追えば、手軽な方法に流れることもできます。しかし、私が本当に考えたいのは、「この子にどんな成長を遂げてもらいたいのか」という未来の姿です。
定期試験前だけでなく、日頃から誠実に努力を重ね、自ら考え、道を切り拓いていける子に育ってほしい。それが、私の届けたい教育です。
派手さはなくとも、10年後、20年後に「先生と出会えてよかった」と思ってもらえるような、本物の支えでありたいと願っています。(おこがましいことですが…)
さて、ここまでの話は、殻を突き抜けた子と、それにまつわる私の教育観についてでした。
もちろん、結果を更新できた子がいる一方で、結果が出なかった子もいます。頑張った子たちの成果が目に見えて現れると、それを横目に悔しさを抱える子も教室にはいます。
しかし、その「悔しい」「なんで私は…」という気持ちが芽生えることこそが、実は大きな成長のサインです。
「次こそは」と、自分自身を奮い立たせる。こちらは「お前の力はこんなもんじゃない」と背中を押す。
私は子どもたちに強くなってほしいと願っています。そして、失敗もまたその強さを育む重要な要素であると信じています。
すべての出来事には、必ず意味があり、成功も失敗も、その一つひとつが子どもたちが大きくなっていくために必要な「成長の過程」なのです。



