今回、奈良県で新たな入試制度がスタートしました。高校入試制度の変化を「点」で見るか、「線」で捉えるかでずいぶんと見え方が変わります。
例えば、各校が内申点の扱いを選択できるようになったことや、上位校で学力検査の得点比重が2.2倍にまで高まったことは、単なる配点調整の話ではないように感じています。
制度とは、その社会がどのような人物を育てたいかという問いに対する「地図」であり、その道筋には人間像が透けて見えるからです。
たとえば、本来、物の価値というのは「相手の要望にどれだけ応えられるか」で決まります。商品が選ばれるのは、単に品質が高いからではなく、その品質が必要とされているからです。これは教育においても同様です。
高校が求める基準に合致する生徒に合格を出す以上、高校が求める状態・レベルにまで子どもたちを育て、送り出すことに変わりはありません。
大学が社会の要請に応え、高校が大学の要請に応える。この連鎖の中に高校受験があります。
では、今求められているものは一体何か。
大学共通テストでも文章量が増し、読解力が求められる設問が増加しています。作られた文章を推敲する表現力を問う問題が出題されたり。従来は国語での出題と考えられていた心情を把握する問題が英文中に登場するなど、自分の考えをアウトプットする力などが求められています。
奈良、畝傍、郡山といった学校が実力重視型へと舵を切った背景には、こうした点を踏まえることでそこに社会の要請が透けてみえる気がします。
英語でも数学でも理科でも国語でも社会でも、「本格的なもの」を教えていくことで子どもたちに学力を付けていくことはやはり今後も変わらないことでしょう。
学問の魅力を伝え、好奇心を感染させ、学問的にも人間的にも魅力のある子供たちに育てるという点において、その本質は何ら変わらないと感じています。



