早稲田合格を目指したM君の葛藤

M君は中学を卒業してからも、悩みがあると「先生、相談があるんですけど」とLINEを送ってきてくれた。その夜も同じだった。気遣いができる子で、夜の22時30分に会う約束をしていた。しかし、約束の時間を過ぎても姿を見せない。「今どこ?」とメッセージを送ると、「近くのコンビニにいます。」と返事が来た。数分後、M君は塾のドアをノックした。

「珍しく遅かったな。」と声をかけると、彼は少し申し訳なさそうに言った。「職員室を覗いたら、先生がまだ生徒に教えている様子だったので……」。

そうか、そういうことだったのか。「すまんなー、気を遣わせて」。そう言いながら、ふと彼の手元を見ると、ホットカルピスを握っていた。彼は、ただコンビニへ行っていたわけではないのだろう。寒空の下、先生の手が空くのを待っていたのかもしれない。あるいは近くの自販機の前で時間をつぶしながら、温かい飲み物を手にしていたのかもしれない。どちらにせよ、彼の控えめで、人を思いやる優しさが伝わってきた。「さあ、話を聞こうか」。

M君は今年、早稲田大学と神戸大学を受験した。

この日の面談で、彼は迷いを口にした。「東京に行ってみたいんです。でも、就職してからでも遅くはないかなとも思うし、新聞社や出版社でバイトもしてみたいんです。一方で、神戸で経営を学ぶことにも興味があって、どちらも捨て難いんです。親元を離れて生活してみたい憧れもあります。ただ、下宿にはお金がかかるので、奨学金を取って早稲田に通うことになると思います。でも神戸なら、自宅から通いなさいと親から言われていて……どちらを選んでも制限がかかるので、まだ覚悟が決めきれなくて。。。」合格発表が近づくにつれ、彼の迷いはますます深まっていた。

そして迎えた結果発表。早稲田の不合格通知を受け取ったとき、「これで神戸に進学する覚悟が決まる」かと思えば、逆に気持ちは早稲田へと傾いていった。「夏に友達を誘って早稲田のオープンスクールに行こうとしたんですけど、断られてしまって。だから、受験日まで一度も早稲田に足を運んでいなかったんです。試験当日、駅を出た瞬間、学生街のエネルギーに圧倒されました。大学の中も人で溢れていて、吉野郡よりもこの大学の方が人口が多いんじゃないかと思ったほどです。もっと早くにここへ来ておけば良かった。どっちかに受かればいいくらいの気持ちでいたけれど、今はここに通いたい。そう強く思っています」。

そんな思いが芽生える中、神戸大学の受験日が近づいてきた。そして、見事合格。

「結果どうやった?」とLINEを送ると、「先生、いつ空いてますか?」と返事が来た。「今晩でもいいよ。来れるならおいで」と伝えると、「分かりました、今晩行きます」と返ってきた。友達にも相談したというが、みな「神戸でいいんじゃない?」という返事ばかりだった。優しい彼だからこそ、親の負担や家庭の事情を深く考えたのだろう。しかし、彼の口から出たのは、「ここでチャレンジしないと一生引きずると思うんです。そして何よりも、神戸大学に受かったのに心が震えなかったんです。」

その一言に、彼のすべての思いが詰まっていた。「来年はどこの予備校に行くの?」と尋ねると、「いや、予備校には行きません。自宅で勉強します。バイトもしないといけないし。早稲田に住むとなるとお金もかかるし、今年一年間で必要な教材費も自分で稼がないと。今まで親に塾代やいろいろと負担をかけたので、これから先は自分のわがままになるから、自分でやれるところまでやろうと思います」。彼は静かに、しかし確かな決意を語った。

神戸に行こうが、早稲田に行こうが、もしかすると長い人生の中では大した違いではないのかもしれない。しかし、これは単なる進学の選択ではなく、「自分の人生にどう折り合いをつけるか」という生き方の問題だった。M君は、いつも控えめで、他人の気持ちを優先する子だった。だが、今回ばかりは、人生をかけて自分の想いを貫こうとしている。その姿に、彼の三年間の成長を感じるとともに、これまでとは違う強い意志を見た。

一般的に、塾講師と聞くと授業をし、子どもを合格へ導く存在だと考えられることが多い。

しかし、私が塾講師という仕事で本当に熱狂するのは、単なる合格指導ではなく、子どもの人生の分岐点に立ち会うことだ。オタマジャクシがカエルに変わる瞬間のように心が変態し、呼吸方法から、生活場所、食べるものすべてを変えようとする。その瞬間に立ち会い、見守ることにある。

M君もそうだった。これまで控えめで、強い意志を主張することのなかった彼が、突然、自らの未来を強く求めた。単なる「行きたい」という願望ではなく、心の底から湧き上がる渇望だった。こうしたいんだ、という明確な意思を持ち、それを貫く覚悟を決めた彼の姿は、何となく人生を歩んでいる人々とは一線を画していた。私は単に彼を応援したいのではない。彼がこの決断をするに至ったこと、その変化の瞬間を目の当たりにできたことが、何よりも嬉しかった。

昨日はまさにそんな場面だった。