先生という職業にもし特権があるとすれば、
それは、
「大人になっても学校給食を食べられる点」
ではありません。
また、
採点用の赤ペン(インクを詰め替えるヤツ)で丸付けができる点でもありません。
小学生の時、あれにすごく憧れたなぁ〜。笑
話を元に戻して、
「生徒どうしを比較することができる」という点。
きっと、これでしょうね。
親は我が子しか見えないので、どんなに優秀な親でも子供どうしを「比べる」ことはできません。
塾の先生が「良い勉強法」とはこういうものだと言い易いのも、比較が可能だからです。
「良い勉強法」が仮にあるとすれば、それは絶対的なものではなく、先生達の経験から紡ぎ出された成績の良い子たちの行動事例集のことでしょうね。
例えば、
提出物一つ見ても、
早々に提出する子。
期限を守らない子。
言われた通りに厳密に出そうとする子。
自己中なやり方で提出する子。
がいます。比較、比較。
また、
日々トレを見ても、
朝学校に行く前に必ず提出する子。
締切を過ぎてから出す子。
仮病を使う子。
毎回の指摘を次の時には反映して取り組む子。
言われたことを右から左に受け流している子。
ネットや参考書で調べて知識を横にまとめて提出する子。
答えを丸写し。途中式も書かずに提出する子。
本当に様々です。比較、比較。
何が言いたいか?
日々トレの日曜日に関するルールは以下ですね。
・月〜土までの課題で間違えたところ改めてやり直す日。
いわゆる2回目の反復日でしたね。
ここでも様々です。
日曜日は日々トレがなく休みと勘違いしている子。
1週間の間違った箇所のみをやって提出する子(これが最低限)。
1週間の問題をイチから全部解いて提出する子。
もし仮に、優秀な子とそうでない子の境目があるとすれば、
それは、この写真のように。
「自分が必要だと感じた勉強を、誰にやれと言われずとも勝手にやっていること」
でしょう。
とある側面だけで見てもこれが起こるわけですから、生活全般までこれを広げて考えると随所にそう言った意識の違いがあるんでしょう。
もし、それが習慣に組み込まれるてしまうとその差はもう広がる一方でしょうね。
コツコツとアスファルトに積み上げられた差はもう埋まりませんね。
だからこそ、早い時期から良い習慣を生活にがっちりと組み込むこと。
この重要性が高く評価されるのでしょう。
特に小学生!
たくさん遊べば良いんですよ。だけどね、それと同じくらいに毎日の生活に勉強を組み込むのは大事ですよ。今!!
小学生の時期は、失敗し放題なんやから。積み上げれば良いんだよ。
毎日コツコツ、点だったものがいつか線になる日が来るんだよ。
今に意味なんて分かる訳ないんだよ。
少し乱暴な言い方かも知れないけど、「さっさとやれ!」ってことだよ。