昨年は過去最高の退塾者数でした。。。その1。

去年は途中からブログの更新頻度が落ちてしまいました。

その原因は私の中で悶々とした思いとその状況から脱するための解を探していると、なかなかブログを書く気が起きなかったためです。

お恥ずかしいことに、2023年度は開業以来最も退塾者数が多かった年でした。

高校生コースを閉じたり、小学生コースの一部を閉じたというのもありましたが、一年間で40名程度の退塾が出ました。

それまでの退塾は多くても毎年5名程度でしたので、ご期待に沿えなかったことは一目瞭然です。コースの閉講まで含めると塾生の約1/3がいなくなりました。

これはすべて私の方針の問題でしたが、大変辛い出来事でした。

退塾の原因を一言で言ってしまえば、こちらが身につけさせたいことと保護者や生徒が望んでいることの間にギャップが生じたことかもしれません。

退塾時に本心をお話し下さる方もいれば、そうでない方も居られますので、今からのお話は事実半分、私の推測半分で聞いて頂ければと思います。

主な理由は以下の3つに集約されるのではないかと思います。

①日々トレの負担

➁自習の多さ

③自主的に勉強をさせるように促す姿勢(自分の子がしっかりと見てもらえているのか問題)

今日は「①日々トレの負担」についてお話します。

もし、同業者がこちらのブログを見られている場合、日々トレという仕組みは必要な指導であっても経営的には諸刃の剣ですので、その辺りを十分に調節されてみて下さい。

開塾以来、日々トレの仕組みはありましたが、これは小学生コースだけのものでした。

昨年からはそれを中学生コースにも拡大し、毎朝課題を送り、それをその日のうちにLINEで提出する仕組みへと変へました。

従来の日々トレについてですが、1ヵ月分をまとめて月初にプリントとして配布していました。

提出頻度は1週間に2度。

コロナ禍で一気にオンライン授業やLINEの利用に対する抵抗がなくなったと感じたのも毎日配信に切り替えた一因です。

日々トレを続けて来た理由は、毎日必ず一定時間は机に向かわせることを仕組みとして成立させたかったためです。

それが子供たちにとって良いと思っているからです。

旧来の形だと2日分、または3日分まとめてやるという逃げ場もあったのですが、新しい形に変わり完全に逃げ場がなくなりました。

日々トレの仕組みは、私の学生時代にさかのぼります。

私自身中高6年間、毎日単語を30個を覚えることと、毎日音読を続けるという課題を学校から課せられていました。

毎日のようにテストがあり、不合格だと追試。

出来るまで居残りがありました。

なので通学中、うちの生徒は常に単語帳を手に持ち、歩きスマホならぬ、歩き単語帳が日常の光景でした。

この結果、大学受験ではたいして文法のことが理解できている訳ではないのですが、英文を目で追う速度で文章の内容が理解できてしまい、英語の受験に関しては一切の苦労を感じなかったという経験に基づきます。

今でもそうですが、よほど難解な文構造をもつ英文を除けば、文章を読むのにあまり困難を感じません。それくらい骨身に染み込まされました。

指導する側に立って色々と見方も変わりました。

お恥ずかしい話ですが、初めて英語を指導する際には、SVOCが何なのか、これらをどう使うのかすら全く理解していませんでした。

逆に言えば、こんなことも分からず、日々の練習だけで大学レベルの英文まで読める力が勝手に付いていたということです。

もう少しだけ、ここに関する話をさせて下さい。

文法をしっかり理解して、その後長文問題にたどり着くという指導が一般的なのでしょうか。

よそでの指導がどうなのか分からないのですが、この指導をすると子供たちが文法を意識するあまり、速く長文を読むための足枷になると考えています。

文法は長文の中で読みづらい箇所が出て来た際に必要に応じてちょっと利用するくらいがちょうど良いと考えています。

英語指導に対するこの2つのスタンスは、指導者としては大きな問題です。

「文法の知識で読み解き、長文を攻略させようとする」のかそれとも、「長文のために必要最低限の文法を頭に入れ、長文の読む量を増やす」のかには大きな違いがあります。

現段階において、私は後者が正解なのではと考えています。

今年の奈良県の公立高校入試問題を見ても、分かりやすい文法問題は消え去り、長文の内容理解を問う出題に変わっていました。

英語を書かせる量も減り、英語で書かれた選択肢問題を見ても奈良県の出題意図は明らかに文章内容の理解に軸足を置き替えたと見ています。

もし、今後もこの傾向が続くならうちの塾の指導方針と奈良県が目指すベクトルがピタッと重なることになります。

話が脱線したので元に戻そうと思うのですが、毎日の習慣を身に付けさせるために毎日取り組み、毎日提出を義務付けたことが問題でした。

<問題1>

従来の週2の提出であれば出す直前にガッとやって出すことも可能でした。

それを避けたくて毎日提出にしたのですが、習慣化されていない状況下においては辛くしんどい思いをすることになります。

習慣化というのは口で言うほど簡単ではありません。熱を出す日もあれば、気分が乗らない日ももちろんあります。

遊びに没頭するあまり取り組む時間が遅くなり、保護者との間で口論になることもあります。

苦しい理由は、従来の生活に日々トレを合わせようとするからです。

何かを習慣化するには、生活の方をそこに合わせなければなりません。

私の場合であれば、車を使わず毎日の行き帰りを徒歩にするだけで意図せず痩せることが可能なのだと思います。

しかし、そういう変化をさせずに、食事の量をちょっといじるとか、階段を使うなど旧来の生活の一部を変化させてしまうだけなので、いつまで経っても痩せられません。

いっそのこと車がぶっつぶれてしまえば良いのに!その生活に自分をなじませることで痩せられそうな気がします。知らんけど。

息を吸うように自然にこれができるまでには1年以上の歳月を要するものです。

時に、ずさんなノートで提出している様子に私が「丁寧にしなさい」や「もっと早くやりなさい」。「答えを写しているのではないですか?」という確認を入れてしまうので、親子喧嘩の火種になってしまいます。保護者も提出物を見れるようになっていますので。

口には出さずとも「先生に言われてるのに、なんでもっとちゃんとせんの!」「毎回同じようなダメ出しを食らって改善する気ないの?」など親の方にもイライラが溜まります。

良かれと思って送ったプレゼントが、ある日突然爆弾に変わってしまいます。余計な一言を発しようもんなら、即爆発です。

1年前の姿と比べると随分と成長したと感じられるものですが、その瞬間だけを切りだしてみてしまうと双方ともに望まない方向に事が進みます。

塾としては紆余曲折の末に成長してくれれば良いと考えているので、小さなダメ出しには目をつむって下さいと伝えておくべきでしたが、その辺りの理解を上手く保護者の方々に伝えきれていませんでした。

<問題2>

私自身は日々トレを学校で経験していましたが、塾生は塾でこれを経験している点を見落としていました。日々トレが辛くても学校を辞めるという選択肢は出てきませんが、日々トレが面倒であれば塾をやめるという選択肢は十分に考えられます。

ここで、目的論と原因論という2つの考え方について話します。

後者の原因論は日々トレが嫌だから塾を辞めるというものです。

一方で前者は塾をやめるという目的を達成するために「日々トレがしんどい」「自習が多い」「対策時間が長い」など個別具体的な不満を列挙し続けます。

個人的には原因論否定派です。

例えば、「日々トレがどうしてもしんどいなら週に1回だけでもやろう」。「対策時間が長く感じられるなら夕方からおいで」というように譲歩するような提案をしても、結局は次から次へとそれを避ける姿勢や言い訳が出てきてしまい、表面上に湧き上がる問題をしらみつぶしに解消しても次から次へと新たな不満が生じてしまいます。

そうすると結局は「やめる」という目的を達成するためにあれこれ言い逃れていくという結果に達してしまう場面を多く見てきました。少しでも頭の中で「塾=めんどう、嫌」という図式が想起された段階で、もう退塾は止まりません。

学校ほどの強制力が塾にはないからです。

仮に表面上優しく接したり、楽しい授業を提供したとしても、それはその瞬間を無事に過ごす上辺の対応となり、問題の本質を改善しているわけではないので、遅かれ早かれ「塾があわない」という理由で辞めていくことになります。

結局は、塾で負荷がかかり過ぎる仕組みは成立させにくく、一旦離れてしまった気持ちは何をどうこうしようと戻せないということです。

塾にとってはかなりの痛手のある仕組みですが、私自身この仕組みを今のところ続けて行こうと考えています。

むしろ、こういった力を子供に身に付けさせてやりたいと考えている方のためにこの塾とこの仕組みを残していく必要があると考えています。

しかし、この主張が世間から受け入れられなくなった暁には、市場から退場を命じられると思いますので、それまでは頑張って続けたいと思っています。

この仕組みは長い目で見れば、勉強面で出来ることを増やすのは確かです。

知ることを楽しく感じられるようになる底力がこの仕組みにはあると思っています。

公文やそろばんをやっている子が算数に目を輝かせる子が多いのは、周囲と比較して自分は算数ができるんだと思うからです。積み上げていった結果、得意に感じていくという側面があると思います。

幼い時から公文などで毎日のコツコツ課題を続けて来た子は特に意識することなく馴染んでいくのですが、自分のはっきりとした意思が出てきた(親の言うことに反抗的になってくる)小学校中学年以降でこの力が身についていない場合、習慣化をインストールするのはなかなか困難です。

そばについて問題を一緒に解いてあげたり、持ち上げてみたり、どうしてもつらい日は「今日はいいよ、明日からまた頑張ろう」とその気持ちを受容してあげる必要もあります。

「君のことやから」「あんたの勉強やから」と自己責任問題として突き放さずに、こどもと一緒に問題解決するための方法論を一緒に探すことは大切な視点だと思います。

また、周囲を見渡せば大谷選手のように目立つ成果をあげている人はごく少数です。スポットを浴びない人の方がむしろ多いでしょう。

だからと言って、それらの人々が役に立っていないかと言えばそうではありません。

社会の一部、会社の歯車となることできちんとそこを回るようにしています。

与えられた役割を途中であきらめることなく、日々の努力と改善でその場を良くして行こうとする人たちは大勢います。

そういった小さな信頼を積み重ねていくことで評価され、任され、担える仕事の幅が少しずつ大きくなっていくのだと思います。

日々トレが直接その役に立つとまで大きなことは言いませんが、少なくともその種のようなものは植えられるのではないかと思っています。

私自身日々トレで得られることは大きく2つだと考えています。

① 知らず知らずのうちに学力という身長が高くなり、見える世界が広がり、考えることや取り組むこと自体を楽しめるようになる。

➁ 将来社会で活躍するための根っこのようなものを生やすことができる気がする。知らんけど。

これを良いなと思う方と、要らないと思う方がいるのは当然のことです。顧客のどの選択が正しい、間違いということではありません。私が出来ることとすれば、それを欲する方に対して目立つフラグを立て続けることだけです。どんな塾なんだと。何を提供してくれるんだと。

長い目で見れば、こういった地道な作業を厭わずに続けられることで、その後の人生の楽しみが広がることを想像しています。それも勉強を通して。

今塾にいる生徒たちには、そういう積み重ねの原点のようなものをここで培ってもらいたいと思っています。

今回は、大量の退塾の発生原因に合わせて、私なりの考えを書かせて頂きました。

今日は3時間近くいろいろなことを思い出しながらこの文章を書いていましたのでドッと疲れました。

余談ですが、今年の中3生は日々トレのおかげで合格したと言っても過言ではない子たちが大勢出ました。

みんな望んで逆転劇を演じた訳ではありませんが、特に定期試験で400点未満の生徒には絶大な効果が出ました。英語が大の苦手で入塾した生徒が、本番の入試で英語47点(50点満点)を叩き出し、一条高校合格。

3年生の最初の定期試験で5科目190点台の生徒が国際高校に合格。

学校から校長推薦を取れず途方に暮れていた生徒が本番で逆転合格。

多くの生徒との別れを作ったのも日々トレでしたが、また一方で夢を叶える発射装置になったのも日々トレでした。

頑張ること、続けることで自信をつけた生徒たちは、きっと次の困難でもチャレンジを続けてくれるように思います。

「その2」「その3」についてはまた後日書きたいと思います。

クスっと笑える話の一つも入れられずに申し訳ありません。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。