小5の頃からお世話になりました。
アルファベット読みや独自でアレンジした読み方で覚え、フォニックス読みを避け続けた子でしたが、最終的には5教科のうち2番目に英語が出来るまでになりました。
中1の頃は、宿題やテスト前のワークの提出が全然間に合わず、塾のカリキュラムに追われる毎日でしたが、自分で予定を立てて出来るようになりました。
(この辺りに本当に成長を感じました。最初の頃は提出予定日までに課題が終えられず、初日のテストが受けられないこともありました。。。2年生になる頃くらいだったでしょうか、授業内の演習が終わると隙間時間で学校のワークを進めてみたり、教科書の大事なところに線を引いて覚えるための事前準備をするなど意識も変わって来ましたね。絵を描くことのが大好きでしたので、図形問題の単元では、鉛筆の濃淡を駆使して芸術的な立体図形が描かれていましたね。そんなところに拘って解いているので必要以上に時間がかかる反面、そんな息抜きを砂漠の中のささやかな休息場所に感じていたのかもしれませんね。)
中3になる少し前からは思春期で何もかもが不安定になり、加えて反抗期も重なり、毎日学校に遅刻する日々が続きました。
塾は夜なので暫くはまともに行けてましたが、受験が近付くにつれ遅刻や欠席が増えました。娘の不安定な状況を理解して下さり、刺激せずにそっと接してくださったことに心より感謝致します。
キツイと聞いていた塾だけに、子供にとってストレスになってるのではないかな?と思う時もあり、「辞めた~い」と愚痴をこぼしたこともありました。
「辞めてもいいよ」と言った事がありますが、「辞めたいって言うたけど、辞める!!とは言ってないやろ。辞めた~いって言ってるだけやん!」と怒られました。
大人の無意識な「疲れた~」と同じですね。
子供にとってはキツイ塾ではなく必要な場所だったようです。
必死に塾にしがみついてる姿を見ては、一生懸命先を考えて、自分なりに行動してるのだなと思いました。
第一志望校も前から決まっていたので、それも頑張る糧になったんだと思います。
しかし、頑張る気持ちには波があり不安定で、志望校に対しても「どうせ受けれない…」と言ったかと思えば、今度は逆に「受かる謎の自信がある!」。この気持ちの繰り返しでした。
こちらまで不安定にさせられました。
第一志望については微妙なラインだったので、色んな学校のオープンスクールに誘ったのですが、反抗して全く行ってくれませんでした。
話し合いをしようにも質問しても答えてくれず、仮に答えてくれたとしても早口で小声。
聞き直すと「もぅいい」「さっき言った」全く話にならず、したい話がいつまでも出来ませんでした。本人なりに考えてると思うので、とにかく気長に待つしかなかったです。
(この時期、この状態での会話は建設的な方向に進むことは少なく、むしろ志望校とやる気を下げる方向に話が進むことが多いので、意思疎通が出来ないのは苦しかったでしょうが、結果的にはこれが良かったのかもしれませんね。)
直前になり、本人の強い希望もあって志望校を変更しました。
その頃くらいからか、会話が成り立つ事が増えました。
変更前の志望校を決めたきっかけも曖昧でしたし、合格してからの事を想像しても不安しかなかったのかもしれません。変更してスッキリした感じがありました。それもあり、安定した状態で受験に挑めたので本当に安心しました。
(1月を過ぎた辺りに受験校を変更するというのは珍しいことではありません。学力が届かず変更することもあります。しかし、それ以上に、自分が進んで行くんだということを現実的に捉えたことで「本当にやりたかったことはこれなのか?」と、今まで避けていた自分との対話を本格的に開始することで、聞こえなかった本当の心の声が聞こえてくることがあります。直前の受験校変更にはネガティブな印象がありますが、それは時と場合に依ります。心の声に従った後は態度が急に穏やかになったり、会話が成立し始めることがあります。もしかすると今回もそんな状況だったのかもしれませんね。)
先生方の支えもあり、無事に合格する事が出来ました。
本当にありがとうございました。
私はまだまだ戦いが続きます。夢や希望をもって選んだ学校に生き生きと通う姿を見て初めて、私の受験が終わると思います。
また先生方に良いご報告が出来ればと思います。