中1で中2文法を終える理由:長文読解こそが英語力の本質

先取り学習の実態:中1で中3文法を完了

当塾では、中学1年生のちょうどこの時期に、おおよそ中学2年生までの英文法が終了します。現在は比較級を終えたところですので、あとは不定詞にそろそろ入って。もちろん深いところまではお伝えしていませんが、「文の形を見ればどの文法が利用されているのか」程度にまでは仕込んでいきます。

学校の進度と比べるとかなりハイペースで進めています。1年生の終わりには中3の内容が終わるように指導を行います。

なぜ早く進めるのか:長文指導への橋渡し

早く進めている理由は、一日も早く長文が読めるようにするためです。

to不定詞くらいまでを教え終わると、ある程度文章が読めるようになります。英語が出来るかの一つの指標に「英語長文がどれだけ読めるか」を置いています。

試行錯誤の歴史:文法偏重からの脱却

今から遡ること7年前から英語を教え始めました。当初は、文法に時間を割くあまり長文読解の指導が手薄になることがありました。文法を意識しすぎると、長文指導をしていても文法の指導に寄ってしまい、一人で気持ちよくなってしまうんですね。文法指導は教えた側に教えた感が出てしまうので、困ったものです。

気付けば時間が過ぎ、長文解説の続きはまた今度となり、1コマで1本の長文を消化できず、リズムの悪い授業になります。

かといって文法がなくても良いかと問われれば、そんなことは全くありません。必要最低限の文法事項が頭に入っているから長文は読めるのであって、それがなければチェーンのついていない自転車を一生懸命こぐがごとく、いくら漕いでも前に進みません

理想的な文法と長文の比率

私が考える英語指導というのは、文法事項に終始させることではありません。むしろ10のうちの文法事項が2程度で、それ以外は長文という感覚です。

ですので「長文の中に出てきた文法を扱う」という感覚に近いです。

高校受験を見ても大学受験を見ても、今は長文問題が得点の大半を占めます。

文法は目的ではなく手段

とにかく文法を教えることは目的ではなく、あくまでも長文を読むための手段でしかないのです。

文法に対する最小限の理解があれば、どんどん長文を読ませ、単語を習得し、より難度の高い長文に取り組ませることで、ある時以降は塾生たちの英語指導を続けてきました。

「訳す」と「解釈する」の違い

昨日の中2の授業では、「英語を訳すことと、解釈することは違う」という話をしました。

訳した後に「結局筆者はここをプラスのトーン、マイナスのトーンどちらで話している?」と尋ねてもピンと来ない場合は、解釈の域にまでたどり着いていません。

解釈という言葉をもっと分かりやすく言い換えれば、「味わう」くらいの言葉が近いように感じます。

英文を「味わう」楽しさ

英文を通して筆者の追体験をするというのが、文章を読み進める上で最も楽しいことかと思います。

問題が解けるということよりも、もっと手前に文章を読むこと自体が面白いと感じるようにしたいと考えています。そうすれば、どんどん英語が好きになり、自然と問題にも目が行くようになります。

試行錯誤の末にたどり着いた指導法

これまでの試行錯誤の結果、今の形になってきました。

文法は最小限、長文読解を最大限。そして英文を「味わう」楽しさを伝える。これが英語教育の核心です。