今回、中3で9教科オール5の生徒が新たに誕生した。S君だ。
入塾したのは中1の冬。冬期講習からだった。
うちの塾は、生徒同士のつながりがとても強い。新しく来る子の多くは、兄弟や友達、先輩後輩といった知り合い伝いでやって来ることが多い。S君もその一人だった。
その友達が、入塾前にこんなことを教えてくれた。
「先生、あいつ気が弱いから、もしかするとすぐ辞めてしまうかもしれませんよ。」
当時の成績は決して良くなかった。
中1・2学期期末。理科は29点。5教科合計312点。
この時彼ができる子とは誰も思っていなかったはずだ。
だから面談では、成績の話よりも先に一つだけ確認した。
「何があっても、逃げ出さないか?」
返事は迷いなく「はい」。
その一言を信じて、私は受け入れることにした。
彼は決して器用なタイプではない。
しかし、一つだけ大きな武器を持っていた。
真面目さだ。
私はいつも言っている。
英語は、才能より真面目さが勝つ教科だ。
毎日提出する「日々トレ」。
彼のノートは、赤鉛筆で真っ赤に染まっていた。
辞書を引き、意味を書き込み、文法を調べ、気付いたことを書き足す。
私は毎日、それを細かくチェックする。
理解不足はないか。
覚えておいてほしいことは書けているか。
考え方は間違っていないか。
正直、この子はいったい、この一枚に何時間使っているんだろうかと心配になるほどだった。
ある日、辞書の話になった。
「どんな辞書を使ってるんや?」
そう聞くと、
「母が昔使っていた辞書です。」
持って来てもらうと、そこには年季の入った、小さな英和辞典だった。
ジーニアス辞典の半分ほどの大きさ。
ページは少し黄ばみ、角は丸く擦り切れている。側面は手垢で黒くなっている。
何年も使い込んだことが分かる辞書だった。
私は思った。
こんな辞書を今でも家に置いてあるということは、お母さんもきっと英語が好きだったのだろうと。
聞けば、その通りだった。
今でも分からないところは、お母さんに教えてもらうことがあるという。
そして彼は、お母さんの話をするとき、どこか誇らしそうだった。
尊敬が、言葉の端々からにじみ出ていた。
家庭には勉強を応援する空気があり、本人には努力を積み重ねる性格がある。
私は確信した。
この子は英語で勝負させられる。
だから私は、英語を徹底的に伸ばす作戦に出た。
授業中も、意図的に成功体験を積ませる。
「これ分かるんか!すごいな。」
「誰か答えられる?……じゃあ、S。」
できる場面を何度も作る。
正解する。
褒められる。
また挑戦する。
たまに、悔しい思いもさせる。
自信は、ある日突然生まれるものではない。
小さな成功を一本一本積み上げていった先で、ようやく芽を出す。
そんな彼は、小テストでたった一問間違えただけでも授業後に私のところへ来るようになった。
「ああ……なんでこんなミスをしたんだ。練習不足ですね。」
英語に対して、自分で完璧を求め始めた瞬間だった。
努力は、やがて数字になる。
中1・3学期期末。
英語92点。
前回から約20点アップ。
それでも彼は悔しがっていた。
そこからもしばらくは、80点台後半から90点前半。
あと一歩が届かない。
何度も力不足に泣いた。
しかし、努力は裏切らない。
中2・2学期期末。
入塾から11か月。
ついに99点。
あと1点。
そして、さらにその半年後。
入塾から1年5か月。
中3・1学期中間。
ようやく念願だった100点。
長かった。
本当に長かった。
しかし、自分の一番の武器で100点を取ったことは、数字以上の意味があった。
人は、一つ絶対に負けないものができると変わる。
英語ができる。
その自信は、英語だけにとどまらない。
「数学もいけるかもしれない。」
「理科もやれば伸びるかもしれない。」
自信は水面に落ちた一滴の雫のように、確実に波紋を広げていく。
そして今回。
中3・1学期。
通知表は9教科オール5。
観点別評価も、すべてA。
通知表だけを見れば、中学校でこれ以上の評価は存在しない。
学校で一番の成績だ。
三者懇談で先生から通知表を渡された瞬間、Sくんが思わず漏らした言葉は、
「うわっ……きれい!」
だったそうだ。
5、5、5、5、5。A、A、A、A。
余計な数字が一つもない通知表。
私は、成績には二種類あると思っている。
今回のようにテストで取った100点。
それは嬉しい。
しかし、時間が経てば色褪せる。
一方で、「自分は努力すればここまで行ける人間なんだ」と心の底から信じられる経験。
これは、一生残る。
通知表のオール5は、単なる9個の「5」ではない。
逃げなかった証。
積み重ねた証。
自分自身を信じられるようになった証だ。
これから先、高校でも大学でも社会に出ても、苦しい場面は必ず来る。
そのとき彼は思い出すはずだ。
「あのとき、自分はここまでやれたんだから…」
その記憶、経験こそが、人を前へ進ませる本当の力になるのだと思う。





