定期試験対策、始めました。「型」の指導。

先週の土曜から、定期試験対策期間がスタートした。昨年まではやっていなかったが、今年は踏み切った。教室が変わり、初めて教える子たちが増えたからだ。

去年までは土日を開けるなんて事をしていなかったので、昨年から引き続きいる子たちは「ギョエー、まじ!こんなにやるの?」といった感じじゃないだろうか。

「試験対策」と聞くと、直前の詰め込みや大量演習を想像するかもしれない。もちろんそれも間違いではない。でも、狙いはそこではない。

Goda塾にとって、定期試験はあくまでも舞台装置。

大きな試験が迫るからこそ、子どもたちも本気になる。その緊張感を借りて、勉強の型の定着を狙っている。

好きな女の子とデートするにはジェットコースターに誘うのが良いらしい。恐怖によるドキドキと恋のドキドキを錯覚させるためらしい。(10代の頃に読んだ、HOTDOGに書いてあったのを記憶している。今でいうananの男性版みたいな雑誌)

つまり、Goda塾は定期試験というジェットコースターの力を告白の舞台装置として借りている事になる。

まず徹底させるのは、教科書を読むこと。

入塾後すぐは、放っておくとすぐに学校のワーク(問題集)を解こうとする。

ワークは、覚えたことを確認するための道具であって、初手で触れるものではない。

学校から提出が求められ、なおかつそれが内申点の一部になるのだから、その気持ちは十分に理解できる。

しかし、先立つ物を先に仕込まなければその効果は半減する。

加えて、ワークには著作権上の制約がある。

教科書の素材(図表など)を使えるのは60%以下まで。それ以上は使用率に応じて使用料が追加される。

つまりワークは教科書の一部しかカバーしていない。学校準拠と言ってもこの程度の充実度だ。

どれだけ完璧に仕上げても、取れるのは60点そこらが限界。だから2冊、3冊と増やす羽目になる。それに比例するように時間は奪われていく。

限られた時間の中で全体像を押さえるにやはり戦略が必要。

まずは森である教科書から攻める。木のたし算では森は作れない。

教科書の読み込みこそが最短ルートだ。

教科書の読み込みに関して言えば、「南アメリカの人種の割合はページの右上あたりに書いてあった」と思い出せるくらいに読み込む。最低でも3周。7周で平均。1周なんて四捨五入すればゼロに等しい。しかし、多くの子は経験不足からここで認識間違いを起こす。

国語は最たる例だ。課題文は事前に知っている。答えを前もって教えてくれているようなもの。

それなのに、返ってきた答案の大問7が空白。「なんで?」と聞くと「走れメロスの箇所で時間が足りなくなって…」。

これは本来ならあり得ないことだ。本番でもう一度課題文を読んでしまっている証拠だ。設問を見る。そして、解答の根拠に該当する部分だけを探すのに用いる。

事前の読み込みが足りていれば、筆者の主張はどこにあって、どの段落が具体例になっているのかなんて事は頭に入っているはずである。

走らないといけないのはメロスでなくて、君だ。

※数学の教科書は「太字の意味(言葉の定義)」と「章末問題」、「数学ライブラリー」(活用問題)に触れておけば良い。

次に、「覚える」こと。

「覚えておきなよ」と言うだけで覚える子はまずいない。

だから暗記テストを設ける。

テストという2つ目の舞台装置があるから、エンジンがかかる。

そして、覚えたかどうかは目の前で確認して初めて意味をもつ。

英文の音読などはその場で暗唱させると、全てが一発で明るみになる。

区切る場所、息継ぎの場所、意味のまとまり、これらが正しく掴めているか。戻り読みをしていないか、単語の意味はよどみなくスラスラと出るか。

紙のテストでは発見できない隠れた情報が、音になった瞬間、センサーに引っかかり始める。

警察官が麻薬犬の鼻を頼るように、こちらは音で捜査する。

漢字も同様。「ワーク終わった?」「はい!」「(パラパラ)じゃあOK」。

これは確認ではない。麻薬犬の空港検査と同様。テストで現状確認。

新しいことを教えるわけではない。

この一連の動作を一人ひとりに続ける。これが試験対策期間中の時間の使われ方だ。

非常に地味。大西と迷うくらい地味。しかし、これがすべて。

言葉は悪いが、のろまなカメでも正しい手順を踏めば最後にはウサギに逆転できる。必要指導期間は最低半年。かつての教え子たちがそれを証明してくれている。

成績を上げるには方法がある。

上がらない理由のほとんどは教科書の熟読、そして、暗記の欠如。

このどちらか、または両方が疎かになっているからではないだろうか。

まず、ここから初めてみてはどうだろうか!