夏休み前、私は先生に「何か面白い本はありませんか」と尋ねた。すると先生は、「じゃあ、これ読んでみー」と一冊の本を渡してくれた。それが西林克彦著『わかったつもり 読解力がつかない本当の理由』である。
https://books.kobunsha.com/book/b10124320.html
本来、中学3年生の夏休みという大事な時期に、読書感想文を書くというのは、傍から見れば実に非合理だと言える。しかし、私はそれを理解した上で、今こうして感想文を書いている。なぜなら、この本を読むことで得た知見が、あまりにも大きく、まとめておきたいと思ったからだ。
新書というのは、いつも私に新たな気づきと知恵を与えてくれる。今回も例外ではなかった。むしろ、この本に書かれていることは、これからの自分の読書や勉強におけるロールモデルになるかもしれない。ここからは、自分なりにこの本を批評しながら感想を述べたい。
まず、率直な感想から。
この本を読み終えて最も強く感じたのは、「自分はいかに普段からクリティカルシンキングができていなかったのか」という後悔である。
私は昔から、人の話を比較的素直に受け入れるタイプだった。何かの媒体から得た情報を「正しいもの」として受け取り、本に書いてあることや人から聞いた話を信じ、自分にとって役に立つと思えばメモを取る。
もちろん、メモを取ること自体は悪いことではない。むしろ、学校でも人の話をメモする人は決して多くない。その中で、私は普段から意識してメモを取ってきた。それは自分の長所の一つだと思っていた。
しかし、この本を読んで、その長所が必ずしも長所とは限らないことに気づかされた。
本に書かれている情報を「正しい」と思い込み、そのまま受け入れてしまうと、自分なりの解釈を作ろうとしなくなる。そこに問題がある。
例えば、「Aという箇所について、私はこの書き方に違和感を感じた。前後の文脈を考えれば、Bという意味になるのではないか」と考えることもできる。しかし、最初から筆者の言っていることを正しいと決めつけてしまえば、そもそも前提に対する疑いもなくなる。
これは、私が最初に述べた「クリティカルシンキングができていなかった」という問題につながる。
まさか、自分が長所だと思っていた「人の言うことを素直に受け入れ、きちんとメモを取って行動する」という従順な性格が、場合によっては読解力を身につける上での仇となるとは思わなかった。
頭を棒でどつかれたような衝撃だ。
私はこの本を読んでいて、「ずるい」と感じるところもあった。もちろん、悪い意味ではない。あまりにも納得性の高い文章構成なのである。筆者が作文する際に、何度も批判的に自分の文章を読み返し、構成を考え抜いた様子が伺える。
この本の構成は非常に巧妙だ。まず筆者なりの定義や主張を提示する。次に、それを説明するための物語や具体例を出す。そして、その具体例を読者に考えさせ、最後に補足やまとめを行う。特に面白いのは、その具体例の使い方だ。
最初に物語の一部を読ませる。読者は当然、その内容を「わかったつもり」になる。そして、いくつかの問いを投げかけられる。すると、自分が覚えていた内容と、実際に書かれていた内容との間にズレがあることに気づく。そこで初めて、自分が勝手な解釈をしていたことに気づかされる。
そして危機感を持ったところで、筆者が具体的な説明を始める。
なんと美しい誘導だろうか。
まるで、一流企業に勤めるベテラン社員によるプレゼンテーションを見ているように華麗だ。読者に実際に「わかったつもり」を体験させ、その上で「あなたは今、こうなっていましたよね」と誘導してくる。
この本が訴えかける根っ子が批判的に捉えることなのだとしたら、私も本書に対して批判的な視点を交えてみたい。
それは、「問題点と具体的な解決策の比率」である。
この本は全5章で構成されている。第1章から第4章までは、主に問題点の提示や、筆者なりの言葉の定義、確認が中心となっている。一方で、具体的な解決策が本格的に提示されるのは最終章である第5章だ。
しかも、第5章のすべてが具体的な解決策というわけではない。実際には、その半分ほどにとどまっている。つまり、この本は地に足の付かない、抽象的な話がかなり多い。
もちろん、それ自体が悪いわけではない。しかし、読者が本当に知りたかったであろう「では、どうすれば『わかったつもり』から抜け出せるのか」という具体的な部分が、十分に書かれていないように私は感じた。
「なんとなく分かる。しかし、具体的にどうすればいいのかがイメージしにくい。」
これが、私がこの本を読んでいて感じた読みづらさである。
「本書で私はこれまで、嫌というほど『わかったつもり』の恐ろしさを説明してきた。そもそも『わかったつもり』はなぜ起こるのか。それについては、これまで十分に説明した。次はあなたたちの番だ。これまで私が説明してきたことをもとに、自分で解釈してみなさい。」
そんなふうに、最後にぶっきらぼうに課題を投げ渡されたような感覚がある。
それもまた、この本の面白さと捉えれば良い。
この本を通して、私は新たに自分自身の強みと弱点も見つけることができた。
一言で言えば、私は「自分なりの分析や解釈を細かくすることはできる。しかし、その解釈が元の文章と本当に整合しているかどうかについては、まだ弱い」という人間なのだと思う。
つまり、自分なりの解釈を作ることはできても、それが本当に筆者の言いたかったことなのかは分からない。国語の読解に似ている。
これはかなり厄介な問題である。
今、私はこうしてこの本について自分なりに考え、筆者の考えを解釈した風に書いた。しかし、ここで私自身が「わかったつもり」になっている可能性も十分にある。
私が「筆者はこういうことを言っている」と考えていること自体が、実は筆者の考えとはまったく違うかもしれない。
結局のところ、今の私には、それが正解なのかどうか分からない。
では、どうすればいいのか。
私は一つの方法を考えた。
本を読み終えた直後に感想文を書くのではなく、まず自分なりに本の内容を一度整理する。その上で感想文を書く。そして、もう一度本文と照らし合わせ、「自分の言っていることは本当に本文に書かれていることと一致しているのか」と確認する。
この作業を入れれば、筆者が言っていることと自分の主張との間の溝が浅くなり、少しは整合性を持たせられるのではないだろうか。
もちろん、これにはまだまだ練習が必要だ。
今後は定期的にこの本の内容を見直しながら、「今、自分はまた『わかったつもり』になっていないか」と確認していきたい。
いやはや、筆者の言うことを「正しく読む」というのは、本当に難しいと感じる。






