やる気が出ない受験生へ | それでも机に向かう意味

9月末頃に中3のある子と面談をしました。

顔に覇気が見られず、小テストの点数もイマイチ。周囲の頑張りを目にしながらも一向に行動に変化が見られなかったからです。

「決してやりたくない訳じゃないけど、やる気がイマイチ出ないんです」。 Aさんはそう言いました。

私たちはそれがあると信じて机に向かう一方で、それが出てこないと嘆いて机から離れます。

Aさんの話を辿って行くと「焦り」がその根っこにあるように感じました。

周りが受験モードに入っていくのを見て、焦っていたようです。

しかし、それは悪いことでしょうか。私はあまりそうは思いません。焦りは諦めていない証拠です。そして、心が動いているから焦るのです。諦めた人間は焦りません。

「受験校の赤本を一度開いてみると良いと思うよ。」そうアドバイスしました。

今の自分と、合格との距離を測ってみると良い。怖いかもしれない。できない問題ばかりかもしれない。だけど、それで構いません。距離を知らずに走り出すより、距離を知ってから歩き出す方が、ずっと賢明です。

昔、金剛山を登っている時、ボーイスカウトの団長が、「しんどい時は頂上だけを見ていてはいけない。足元を見なさい」とよく言っていました。

受験も同じです。

「合格」という頂上ばかり見ていると、早く終わらないかなと終えることばかりを考え、足が前に進みません。勉強面で言えば、これはスケジュール帳にToDoを書き込んで行くことに近しいと思います。ゴールから逆算して、今日の一歩に目を向ける。

計画を立てる理由は、「毎日の勉強量を安定させる」ためです。人は気分屋ですから、やる気がある日は三時間も勉強できるが、翌日は何もしない。そうして一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎる。気づけば、地味に毎日続けていた人が、遠く先を行っている。

山登りの杖と同様に、疲れたときこそ、それは効果を発揮します。

とはいえ、計画を立ててもどうしても気持ちが乗らない日もあります。ページをめくっても、文字が頭に入らない日。それでも机に向かう時間をゼロにしてはなりません。10分でも良いです。それが無理なら、5分でも構いません。

またまた昔話になりますが、友達と池でブラックバス釣りを楽しんでいました。その日はボートに乗りながら釣りをしていたのですが、一向に釣れる気配がありませんでした。2人でボーっと糸を垂らしている時に、崖の上から70代くらいの男性が「おーい!何ヒマ釣っとんねん!」とヤジ?おちょくり?勇気を与えるエール?

小馬鹿にされたことがあります。私たちは紳士に対応し苦笑いで返しました。(どつきまわすぞコラー!とは言いませんでした。紳士ですので。)

釣りをする人には気持ちが分かってもらえると思いますが、釣れる日もあれば、釣れない日(ボウズ:釣り用語でボウズと言います。何もないという意味です。)もあります。しかし、糸を垂らさなければ、釣れる日が来ても魚は釣れません。

大好きな釣りの話なのでそちらの話を続けようかとも思いましたが、一旦話を戻します。

受験も同じです。

やる気が出る日もあれば、出ない日もあります。しかし、机に向かっていなければ、やる気が戻ってきても、それを釣り上げることはできません。

心がどうも前に向かない感覚は、君たちだけではありません。誰もが、同じ道を通ってきました。先生も、お父さんも、お母さんも、きっと皆そうです。

うまく乗れない日があっても、それは失敗ではありません。その日も机に座れたなら、それは立派な前進だと捉えて下さい。離れた波も、必ずまた戻ってきます。それは海を見ていれば分かります。

君たちのやる気も同じです。計画を立てること。毎日机に座る事。赤本を元に、志望校との距離から目を背けない事。

今日もまたボウズかもしれませんが、毎日釣り糸を垂らしていれば、いつか必ず大きな魚が釣れる日が来るはずです。

続けて下さい。