「勉強」を教えるのと「勉強方法」を教えるのではまるで次元が異なります。

勉強の仕方を教え込むのは全く簡単ではありません。

血の滲むようなとまで言うのは流石に言い過ぎですが,

根をあげそうになる程の「繰り返しの修正指示」。

そしてその「反復」の連続です。

生徒との根比べです。

改善するまで徹底するから改善する訳で,

改善しないのは改善前に手を引くためです。

自学の最中に一人一人の動きを観察し,

勉強の手順に誤りがあればすぐに修正です。

一人呼び出しては修正。

また一人呼び出しては修正。

この繰り返しです。

「泥臭戦法」。

根っこから変えるにはこれ以外の方法があるのでしょうか?

知名度のない開校当初は目先の点数を追いかけたこともありました。

しかし、今はそこが全てとは考えていません。もちろん大切な要素です。

「どうすれば、子どもたちに力がつけられるか」

こればかりを考えます。

作業能力が高い子もいれば、人の倍時間がかかる子もいます。

暗記能力が高い子もいれば、語呂合わせがないと覚えにくい子もいます。

論理を積み上げながら考えられる子もいれば、反射的に回答してしまう子もいます。

反復が得意な子もいれば、習慣化に時間のかかる子もいます。

集中力のある子もいれば、すぐにトイレに立つ生徒もいます。

出発前に荷物の確認をする子もいれば、忘れ物が日常の子もいます。

細かく配慮ができる子もいれば、自己中な子もいます。

一人一人の前提条件が違うので

すぐに結果が出る子もいれば、結果が出るまでの時間も人それぞれです。

ましてや点数の上下がなく安定的に点数を出そうと思えば日頃の習慣、取り組み姿勢から変えていかねばなりません。

場合によっては高校受験までに間に合わない生徒もいます。

その子がどのタイミングで花開くかなんて誰にも分かりません。

言葉という種、声かけという水やりを毎日繰り返すことでしか

芽吹くための下準備はできません。

周囲ができるのは「きっとその日が来る」と信じてやり続けることだけです。

教育とは教えるだけでは不十分で。

教えた後にそれを理解し、

生徒自らがそれを育める力を付けることまでが教育では大切だと考えています。

塾の指導の根幹に「自学力」という言葉が据えられているのはそういう理由です。

中学校で何点以上が何人いるとか、何人がどこ高校に入っていったとかいうのはこういったことの先にあるべきもので、ここを間違えると手段と目的のすり替わりが起こると考えています。