貧しさからの脱出。勉強して損をしたことは一度もなかった。その4。

その年、俺はどの学校も受けなかった。

最後の最後に心で負けてしまうなら、そのために重ねる努力が虚しくて、悔しくて、自暴自棄になった。

浪人するとチャレンジが怖くなる。浪人は堅実な道を選択したくなる。そういう意味で、向こう見ずなチャレンジ受験ができるのは現役生の特権かも知れないと思った。

もし、俺の生徒にこういう状況に苦しむ生徒がいたら、どうにか合格に辿り着けるところまで指南する。絶対にだ。しかし、当時独学で受験に挑んだ俺にはそんな頼れる人はいなかった。

また振り出しだ。

浪人するなら受験すれば良かったのにというのは結果論だ。当時の精神状態では冷静で居られない。追い込まれていた。

予備校に受けなかったという報告をしに行った。隣の医学部クラスを見ると昨年いた浪人生の顔があった。あの人もダメだったのか。見た目が30代くらいの人でその時少しだけ話した。3浪目だという。自分より頑張っている人がここにもいるんだと思ったら、きっとこの人の方が辛いはず。俺の頑張りなんてまだまだだ。あと、もう1年だけは我慢して続けると決めた。特待試験を受けて、10万だけ収めた。

2浪目の授業が始まり、教室の中を見渡すと、みな新しい顔ぶれになっている。流石に2年目になるとどの模試を受けても成績が上位にくる。

心の余裕からか、久しぶりに講義を受けた。何気なく受けた物理の服部先生の授業はまさに神授業だった。こんなにもわかりやすい授業があるのかと感動した。これがきっかけとなり物理への興味は炸裂した。もともとも理学部の物理学科に進学したいと思っていたが、その思いは益々強くなった。2年目の予備校で唯一この先生の授業だけ参加した。それ以外は予備校の自習室で勉強していた。

前期が終わるとまた宅浪生活に戻った。相変わらず、冬が近づけば廊下と仲良しになった。

そうして迎えたセンター当日。またしても国語で悲劇が起きた。今年は国語が100点。この時点で俺は受験には向いてないと判断。どれだけ勉強してもやはり怖い。恐怖心には勝てなかった。

出町柳の理学部とは縁がなかったと思って、直前で受験校を変更した。

センターは時間との勝負なのでどうしてもスピード勝負の要素あるが二次試験は違った。

数学は2時間半で大問5つ。たっぷり時間があった。思考力勝負の試験の方が俺には向いている。焦ると力が発揮できない。

実はこれは大人になってからも続く。保護者会で前に立って話すと途端に頭の中が真っ白になる。きっとこれはもう性質なんだと思う。今でも保護者会が苦手で仕方がない。どんなに予習をしても、思った通りに話せない。緊張が必要以上に力に蓋をしてしまうタイプなんだと思う。

数学の解答の最中。2問目が解き終わり、3問目の解答方針が立ったタイミングで合格を確信した。これで大学には進学できる。そう安堵した瞬間、鉛筆はさらに加速した。恐怖心が消えた。

合格発表当日、石橋駅で電車に乗り、梅田駅で降りた。そこで母に合格の連絡を入れた。

母が電話口で大声で泣くもんだからついついこちらももらい泣きしてしまった。人通りの多い梅田駅を今までのことを思い出して歩いていると、今までのことが走馬灯のように思い出され、涙が止まらなくなった。

涙顔を人に見られぬように俯いて歩いていたが、きっと顔はくちゃくちゃだったと思う。電話口で、「今日くらいは遊んでおいで」と言われたが、直接伝えたくて寄り道せずに帰宅した。

(続く)