K先生から教えてもらったこと。思い出話。

昔、うちの塾にK先生という社会の先生がいてね。前の塾の私の教え子。

アルバイトで働いてくれてたんだけど、言われたことしか出来なくて。いや、言われたことの半分も出来ていなかったかも。

例えばね、塾の仕事の一つに立ち番というのがあってね。授業前に往来する車を赤色棒を持って誘導する仕事なんだけど、他の先生が出てるのにその先生は職員室で事務作業していたりね。最初は本当に使えない先生だったんだよ。子供との距離感も上手く取れず、授業での笑いも苦笑いって感じの授業で。(K先生見てたらごめんなさいね。)

アルバイトの先生とは月に1回面談していたんだけど、その場で何度も塾の先生には向いてないよ。と伝えたね。私個人がそう見ているだけなのかもしれないと思ってその時、私の次にキャリアのあるO先生に相談して、この状況どう見てる?と相談したら。O先生もまずいですね。私の方からも一度話して見ますと言って話をしてくれたんだよ。だけど、誰の言葉も届かなかったな。

怒られんじゃないかと思ってしまいには郷田の方を向いて仕事をするようになったね。郷田がどうすれば怒らないかを気にしながら仕事をしているのが見えたんだよ。

ある日の授業後のミーティングで、「郷田の方を向いて仕事をするな。僕たちの全員のベクトルを子供に向けるんだ。全員が目の前の子供が1mmでも伸びるように考えて行動すればベクトルはブレることない。」こんな話をした。

これがちょうど卒業シーズンでね。そのK先生に社会のことを伝授してくれていた別の先生が塾から卒業していくことになったんだよ。それからだよ。K先生が少しずつ変わって行ったのは。

子供と話している時に笑顔が増えてきてね。子供もK先生のところに話に行くことが増えてね。特に社会好きのM君は、毎休み時間K先生のところに言って社会の話をしに行ってたね。

さっきの立ち番の例で言えば、ただ車を誘導する作業なのか、子供の安全を守る仕事なのか。同じ事象を見てもそれをどう捉えるかで仕事は差が出る。この目的は一体なんなんだと。そんな瑣末なことから大切なことに対するつ理解を変化させていくことで、お互い戦友になって行った。

なにが言いたいって?

2つあってね。

1つ目、塾の中心はやはり常に子供。子供にどういった体験をさせていくか。ベクトルは同僚でも上司でも保護者でもなく、常に子供。

子供達が頑張れるように声をかけ、環境を整え、成長を促していく場所だと考えている。たとえそれが本人にとって少々耳の痛い話でもそれがためになると思えば躊躇せず伝える。

2つ目、人はいつからでも変われると信じて指導すること。

O先生とも何時間も話した。休みの日に電話で何時間も話した。(その時、僕は半パンを履いて庭で話していたので、電話を終えた時には蚊に噛まれたあとが何十箇所もあった。笑)ここでK先生には向いていないと伝えるのが良いのか、変化が出るまで言い続けるまで待つのか。

最初は子供との距離の取り方が苦手だったが、社会の点数については本当にストイックに上げていった。辛い、大変と言いながらも社会の教材は全て彼女一人の研究で作り上げた。そのうちに点数を通して子供達が喜ぶ姿に沼って行ったんだと思う。子供が変化していく様子を間近で見れるのはこの仕事の醍醐味だ。子供達もそんな一生懸命な先生を受け入れ、授業での多少のお寒いギャグもご愛嬌と大笑いしていた。(笑いをとっている声を聞くと、教室の側まで外から話を聞いていた。笑いを取るのは羨ましい・・・)

塾を続ける上で、この2つは心の中心に据えてなければならないと思っている。K先生の事象を通してからだろうか、私自身にも変化が生まれた。「早急な変化を求めず、時間をかけて言葉を重ね、いつか変化が出ることを期待しながら諦めずに待つ」ということを学んだのは。